社長の労務カウンセラーの鈴木博と申します。

労務問題、特に解雇や労務トラブルを円満に解決したい中小企業の社長むけに法律アドバイスを
含めたカウンセリングを実施しております。
とかく神経を使う労務トラブル。社会保険労務士でもある私が法律面に配慮すると同時に
社長の本気の相談相手となります。現場に最適な落としどころを共に探り出しましょう。
社長がお一人だけで悩むことはありません。ご一緒に問題に対処致しましょう。
そして問題解決後は熱意ある社員と良好な関係を築き、社長の理想の会社に変えていきましょう。

昭和の時代。福岡県の炭鉱でサラリーマン家庭に生まれました。

一言でいうと、引越の多い人生といえます。それが私の考え方に大きな影響があったのかも知れません。
  父、私(大人になって)とも会社員でした。親子とも全国に事業所のある企業だったため転勤が多かったです。
子供の頃はまだ単身赴任は滅多になかったので一家そろって引越するのが一般的でした。
その後私が会社勤めの頃は逆に単身赴任が多くなっていました。私も単身赴任が2ヶ所続き、合計9年間あります。その期間中に息子2人が中・高生となり、思春期にあまり一緒に行動することが出来ず、また話をする機会も少なかったように思います。それも一因かも知れませんが2人ともメンタル不調者(二人とも発達障害(愛着障害?))になり、その後精神障害者手帳をうけました。

幼年、小学校低学年時代:気弱でよく女の子と話をしていました。

性格的には気が弱く、内向的で、男の子より女の子とよく話をしていました。今思えばアダルトチルドレン等の要素が強かったのかもしれません。人とケンカをすることが出来ず、泣かされるほうでした。人から頼まれるとNOが言えず、親や先生、目上の子、友達の顔色をいつも伺っていたように思います。
ただ、どちらかというと転校は楽しんだクチかもしれません。日本国内あちこち行ったので、 どこへ行っても日本語が通じる、お金は同じ円なのでそのまま使える等、どこへ行っても大丈夫、生きてゆけるという風なある意味たくましさが身についたように思います。

小中高時代:消極的でリーダーについていくタイプでした

・転校経験が多く、どこの学校へ行っても最初の登校日、一人でクラス50名の前でのあいさつがありました。プレッシャーであり、みんなの顔を見られずに教室の後ろの壁や天井を見ながら挨拶をしていたように思います(うわの空)。
・どちらかというと運動は苦手でした。運動会はプレッシャーであり、雨乞いをしたい気持ちでした。
・理由はハッキリしませんが将来は医者か弁護士になりたいと思っていました。どちらにしても
専門的仕事で独立して個人で何かやりたい、と思っていました。父親の仕事である大企業のサラリーマンではなにかつまらない人生のように思えたからです。学年が上がるにしたがって、医者は
成績がついて行かず無理。弁護士ならなれそうと、これもどこからか司法試験というものがある
ことを知り将来は受けてみたいと思っていました。

20代:学生時代は勉強重視、社会へ出てからはひとに揉まれました

・大学時代は弁護士になるための勉強をしました。受験サークルにはいり、アルバイトもほとんどせずに受験勉強。司法試験を2回受験しましたがいずれも第一関門にて不合格でした。
どうしようかと悩んだ末、合格をあきらめ就職へ進路変更。
・学校卒業後は大手の化学品製造会社に就職。工場(広島)の資材購買課から会社生活がスタート。本社(東京)での勤務も経験しました。お偉いさんや各事業部との折衝、目下の女性社員が口もきいてくれない間柄になる等人間関係に揉まれました。

30代:ただひたすら仕事重視でした

・30代中頃、工場(東京)の経理課へ異動しました。異動したその月に月次決算が合わず徹夜作業をしました。その後経理システムのエラー等で何度も徹夜は経験しました。
・ この頃結婚。社宅住まいを始めました。
・そうこうするうち、会社の先輩方の歩いた道を知る機会が多くなりました。確かに大企業の社員ということで安定はしています。ただそれも定年まで。その後は余生でのんびりと暮らす。正直そんな人生はまっぴらだと思いました。女房子供はいましたが、再び学生時代の独立の夢が復活。今度は税理士の受験勉強を始めました。

40代:「ひと」について経験が蓄積された時期でした

・その後本社や研究所へ異動し人事総務の責任者になりました。 このとき、いわゆる組合対策を経験し、新たな発見がありました。それは、組織の運営には、自分が知らないところでいかに多くの人が汗をかいてくれているかとの気づきがあったことです。これにより、自分の世界が広がったように思います。また組合相手にうかつなことは言えず、「ことば」の重要性について大いに学ぶこととなりました。それは現在のカウンセラーという仕事へも役立っていると思います。
・この頃男女雇用機会均等法の制定があり女性社員からの様々な要望が出されました。それに伴い各職場の問題点の吸い上げでいろいろな社員からの悩みや相談事も経験しました。


若干の進路変更

・税理士試験をたびたび受けましたが1科目も合格しませんでした。税理士には自分は向かないのだと神様が教えてくれているのだと自分を納得させ、担当していた人事労務と関係の深い社会保険労務士(以下社労士)へ志望を変えました。

円満解雇の経験

・40代半ばである支店へ転勤となりました。赴任前に人事部長に呼び出され、新任地ではある社員の解雇をやって欲しい、との指示を受けました。その当時一番解雇しにくいといわれていた「サボリ社員」の解雇でした。周囲には本人のシンパ社員もいたため手こずりましたが、関係者も巻き込んで無事いわゆる円満解雇に持って行くことができました。このときの経験は人間心理の理解という点でもいまでも大いに役立っています。

50代:大手企業を辞め起業した人生の転換期

・ある工場勤務となり、その工場は三交代制でした。社宅住まいでしたが、そこでの会合で三交代制における人の健康面への影響等様々な問題(肉体面、精神面)、特に睡眠がいかに大事かの重要性を知ることができました。全員がマイカー通勤でしたので工場操業の安全面への配慮、交通安全でも貴重な経験でした。
・社労士試験は毎年受験しましたが不合格が続きました。
・58歳の時、社労士試験についに合格。 このときは喜びよりもやっと終わったという安堵感のほうが大きかったです。

定年まで2年を待たず会社退職、社会保険労務士として独立起業

・定年(60歳)を待たず58歳にて退職し即社労士として開業しました。
・開業後の営業活動の一環で、あるコンサルの営業合宿研修に参加しました。二泊三日の泊まり
 込みのものでした。ここで知り合ったある中小企業の社長が研修後、しばらくして自殺され、
 中小企業の社長の置かれている厳しい立場や社長のメンタルについて考えるきっかけになり、
 その後メンタルヘルスについて学ぶこととなりました。成果としてメンタルヘルス検定Ⅱ種に
 合格しました。その後社会的にうつ病等メンタルヘルスが問題になり、様々な対策が講じられ
 るようになりました。
  ただうつ病にしても、同じパワハラ上司の元にいる部下でもうつ病になる人とそうでない人が
 います。その根底には幼少期からのアダルトチルドレン、愛着障害等が問題の根っこにあると
 考えられます。それを改善しないことには問題は解決しないと思います。

60代:独立後紆余曲折のオンパレード

・顧問先は5社くらいにはなりましたが、顧問先の社長の中に今で言うブラック社長がいました。またその一方で社員にもいろいろいることを実感。社労士の仕事の意義に疑問を感じ始めました。その結果 営業開拓の意欲を喪失し、顧問先も7,8社程度で頭打ちが続きました。そのため事務所経費は無論、生活費もまかなえない状況が続きました。


生保の営業マンを経験

・開業して4、5年たち退職金も底をつきました。どうしようかと思案していたところ、開業同期の社労士から誘われて社労士活動は続けながら、生命保険の営業マンをすることにしました。ここで初めてお客様の購買心理を深く学ぶこととなりました。しかし完全歩合給でしたが あまり売れず、生保代理店は合計で2社経験しましたが2社とも解雇されました。

国立病院の人事も経験

・その後、国立病院の人事部(給与係)でパート勤務をやりました。このとき医療現場の実態や大学の医局人事がまだ大きな力をもっていることを知りました。国立病院でしたので公務員の思考方法を知ることができ、国の施策を見通す面で大きな力になりました。
この病院には700名の看護師さんがおり、その給与計算や諸手続と同時に育児休業基本給付金の申請業務の担当をしました。おかげさまで様々な看護師さんの心理の勉強をさせて戴きました。

中小スーパーでパート経験

・病院退職後、地元のスーパーでパート社員(運搬係)となりました。中小企業のいわゆる遅れている実態を知ることができました。連絡なしで休んでしまう社員、遅れてきても挨拶もしない社員、正社員とパート社員の格差。役職者でも正社員には挨拶はするがパート社員には挨拶しない社員等。管理職を含め社員教育の重要性をひしひしと感じました。

・パート社員期間中は社労士としても活動しつつ、以前から気になっていた中小企業の社長の
 メンタルヘルスをどうかできないかと考えていました。私が開業後戴いた社長の名刺を数える
 と1,200枚となっていました。マスコミではいわゆるブラック企業という言葉で紙面を派手
 に飾ります。しかし私が知っている社長のほとんどの方はブラックではなく、まじめに会社の
 ことや社員さんのことを考え、会社を維持発展させようと土日祝日もいとわず働いている方が
 ほとんどでした。従って、特に不況時に新聞等で中小企業の社長の自殺が多いという記事には
 心が痛みました。

現在:

その後、心理面であれこれ気を使う社員の労務トラブル解決のお手伝い。とかくストレスの多い中小企業の社長に心理カウンセリングを実施することにより、社長が会社の様々な問題点に押しつぶされることなく逆に積極的に取り組むマインドを強化。ひいては「ひとを大切にする経営」を実施することにより「社長ー社員ー業務委託先ーお取引先(全てその社員、家族を含む)ー株主等利害関係者」の共存共栄を目的とする会社に導くためのカウンセリングを実施しております。

『社長が変われば会社は変わる』は真実です。「社長が変わる」の伴走者として社長とご一緒に活動致します。

同時に引き続き円満な解雇専門の社労士としても活動しております。